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障害年金専門の社会保険労務士事務所

いいづか障害年金オフィス

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代表者経歴

年金の現場に常勤で在籍していたことは、他の社労士事務所にはない点です。この知識と経験をもって、一人でも多くのかたに安心と希望を持っていただくよう、わかりやすい説明、迅速な手続きを行っています

 飯塚 和弘(いいづか かずひろ)

S50(1975)年  東京都八王子市生まれ

H 5年   東京都立富士森高等学校卒業

H 8年   京都産業大学法学部入学

H13年  京都産業大学法学部卒業

H17年  社会保険労務士試験合格

H20年  旧厚木社会保険事務所(現厚木年金事務所)

H22年  街角の年金相談センター溝ノ口

H25年  街角の年金相談センター相模大野

H26年  いいづか障害年金オフィス開業

 

  高校時代はほとんど勉強しなかったため、卒業すら危なかったのに進路を大学としたのは、まだ働きたくなかったからでした。(毎日クタクタになって帰ってくるサラリーマンの父と兄を見ていましたので。)しかし、当時はまだまだ受験戦争は激しく、勉強の仕方すらわからなかった私は3年も浪人することになってしまいました。(周りに1浪や2浪はいても、3浪はいませんでしたね・・。)

  大学入学直後は、まだアルバイトをする時間が無く、お金もそれほど持ってなかったので、食費を徹底的に削りました。最初の1週間は、朝晩「ごはんと味噌汁と納豆だけ」で過ごしました。昼は300円くらいの学食でしたが、当時の私にはすごい贅沢でした。

  アルバイトを始めて少しお金に余裕が出てきたとき、バイト仲間からギャンブルに誘われました。それがビギナーズラックで勝ち続けてしまい、大学は週に1~2度くらいしか行かなくなりました。(今はまったくギャンブルはやりませんが。)その結果、1年留年することに。2000年当時、世間は就職超氷河期でしたので、私は就職活動はせず公務員試験一本に決めていました。大学の先輩たちが「40~50社受けても全滅」と嘆いていたので、「民間は無理か」とあきらめていました。世間がそのような状況であれば、公務員志望者が増えるのは自然な流れです。試験勉強は想像以上に難しく、無理に無理を重ねて勉強していたら試験前に体調を崩してしまいました。(毎日胃痛で睡眠不足になり、本当につらかったです。)国家公務員と地方公務員両方受けるつもりでしたが、受験科目が法律のみだった市役所試験一本に掛けました。しかし、結果は不合格でした。後で分かりましたが、倍率が80倍(80人に1人合格)だったので、不合格は当然でした。

  大学に入った時は「法学部なら就職は安泰」と言われていましたが、卒業してみればそんなことはなく、仕方なくフリーターをしていました。塾講師、模試の採点、ガードマン、派遣社員、パチンコ店のアルバイトという、非正規雇用を長く経験しました。非正規雇用に一度入ってしまうと、なかなか抜け出すことができないのは本当でした。今もこのような人が多いと聞きますが、どうか希望を捨てないでもらいたいです。

  2003(平成15)年に年金の仕事がしたくて、社会保険労務士(社労士)の資格を取ろうと資格試験予備校に行きましたが、大学を3浪1留で卒業するくらいでしたから、2004(平成16)年の試験はまったく歯が立たず不合格でした。そこから猛勉強して翌年に合格し、「国家資格があれば就職できるだろう」などと思っていた自分が甘かったです。20社以上受けましたがすべて不採用で、精神的に追い詰められました。年齢は30歳になっていましたし、職歴といっても非正規ばかりだったので、「国家資格を持っていても就職にはたいした武器にならない」と分かったときの絶望感は今でも忘れません。

  就職活動をなかばあきらめて、開業社労士としてやろうと思い、アルバイトをして開業資金を貯めていました。平成20年のある日、「やっぱり未経験で開業は危険かな」と思い、ハローワークで見つけた求人が、当時年金記録問題でマスコミから連日叩かれていた社会保険庁のものでした。旧厚木社会保険事務所(現厚木年金事務所)の常勤の年金相談員という仕事で、すごく安い給料(日当6,920円)でしたが、「年金の実務経験を積ませてもらおう」と応募しました。通常は筆記試験の後に面接ですが、私は社労士試験に合格していたので筆記試験は免除され、面接のみで採用となりました。ここで初めて社労士試験に合格したメリットを感じました。ただ、給料は高くないですし(年収180万円くらいでした)、当時悪いイメージばかり報道されていた社保庁でしたから、応募者は少なかったようです。ここから、私が年金を仕事とする生活が始まりました。

  平成20年10月から勤務が始まりましたが、当時は「消えた5000万件」(のちに、宙に浮いた5000万件)で社会保険事務所内は人であふれていました。待合室のイスだけでは足りず、立って待つ人や、2階(庶務課・適用調査課・徴収課という、主に厚木の管轄にある会社の人が出入りする所)への階段に座っている人もいました。当時は予約制ではなく受付順で2~3時間待ちは当たり前でしたので、毎日のように事務所内で「いつまで待たせるんだ!」「バカ野郎!早くやれ!」などの怒号が響いていました。「とんでもない所に来ちゃったな・・」と、後悔の毎日でした。「ずさんな管理」と連日マスコミに叩かれていた社保庁でしたので、どれだけひどいのかな?と少し興味があったのですが、社会保険事務所の職員は皆真面目に業務に取り組んでいました。テレビの印象だと、態度が横柄でダラダラやっているのかと思っていましたが、現実は全く違いました。悪態の原因は、もっと昔の職員たち(すでに亡くなっている又は年金生活をしているOB)だったんじゃないかなと思うと、今その尻拭をしている若い職員がとても気の毒に思えました。難しい公務員試験を突破して、自分が悪いわけではないのに毎日その後始末をして、あげくの果てに怒鳴られる姿は本当に痛々しかったです。(その後、公務員じゃなくなりましたし。)もちろん記録問題だけでなく通常業務もしないといけませんし、当時は土日も開庁していたので、「そのうち誰か倒れるんじゃないか?」という雰囲気でした。(私の最初の上司は休みがちでした)

  社会保険庁が平成21年12月で解体され、平成22年1月から日本年金機構(社会保険事務所が年金事務所)に変わりました。それまで社会保険庁が管理していた全国の年金相談センターは、士業の団体である社会保険労務士会が引き継ぐことになり、名前も「街角の年金相談センター」と変わりました。(このイマイチな名前のせいで「怪しい所」と思われたことが何度もありました。)年金相談センターで行う業務は年金事務所のお客様相談室とほぼ同じなので、私はこのまま年金事務所で働くか、それとも年金相談センターへ移るか迷いました。しかし、将来は社会保険労務士として開業するつもりでしたし、センター長(元上司)が誘ってくれたこともあり、年金相談センターへ行くことにしました。

  平成22年1月より、川崎市高津区の街角の年金相談センター溝ノ口で勤務となりました。駅近くのビル10階が職場でしたので最初は気持ちよく働けましたが、給料は前よりほんの少しだけ上がった程度だったので、「このままでいいのかな?」と次第に思うようになりました。それから1年半ほど経って結婚もしたので「この年末か年度末で辞めよう」と考えていました。それをいつセンター長に言おうか迷っていたとき、センター長の下で受付相談部門長という、副センター長の役割をしている人が転勤になり、その後任センター長の推薦で私になりました。それまで窓口に出っぱなしだったのが、裏に回って受け付けた書類のチェックや、窓口に出ている相談員の質問に答えたり、センター長不在のときは責任者にもなる立場です。「辞めたいんだけどなぁ」と思いつつ、給料がかなり上がることを知らされたので、「やります」と即答しました。(それまで本当にお金がなかったので。)相談員からの質問に答えるには、もっと知識がないと務まりませんし、障害年金の質問も多かったので、通勤の電車内や自宅でも勉強しました。それでも、新人を教えたり資料作りをしたり、以前より仕事に充実感があったので、もう少し続けることにしました。

  平成25年4月、相模原市南区にある街角の年金相談センター相模大野へ転勤になりました。そこでの仕事は溝ノ口と同じでしたが、思った以上に電話相談が多かったです。(街角の年金相談センターは電話相談をしないことになっていますが、かかってくれば私は答えることにしていました。電話で終わる相談ならお互い楽ですから。)ただ、電話相談は一見簡単そうで、意外と難しいです。情報が耳からしか入りませんので、対面相談以上にわかりやすく説明しないと聞き手は理解できません。相手が理解していないと感じれば、「どの言葉を使い、どう説明すれば理解してもらえるか?」を、常に考えながら話していました。

  平成26年に入り、そろそろ開業しようかなと思うようになりました。組織にいると、どうしても自分の意見が通らないことがあります。それが、たとえ他の職員も賛成しているとしても、上層部の都合や体裁などで通らないことがあります。始めは仕方ないと思っていましたが、だんだん上のやることがひどくなっていくことに耐えきれなくなり、「もう自分でやろう!」と思い、3月末で退職しました。

  自分でやるにしても、私には年金しか武器がありませんので、これを仕事にするには年金専門の社労士しかありません。年金の仕事で一番充実感があるのは障害年金です。お礼の言葉が一番多いのも障害年金です。仕事ですからやって当たり前ですが、それでもやはりお礼を言われれば嬉しいです。障害年金の相談ができる窓口職員の多くが同じ意見だと思います。

  本音を言えば、開業社労士で年金を専門にするなら障害年金しかありません。ただ、私が障害年金の代行をすることにしたのは妻の影響が大きかったです。妻は医療関係の仕事をしていますが、現状に満足することなく、専門分野に磨きをかける為に学会や勉強会へ頻繁に参加しています。患者さんの不安や負担の軽減を第一に考えている姿を見て、「自分も心身が不調な人に障害年金で不安を安心に変えていただこう。必ず自分の知識と経験は役に立つはず」という気持ちになり、今に至ります。
 

  私の経歴はこんな感じです。今年で開業して11年になるので、経験はだいぶ積みました。元々、年金の実務を5年半してきましたし、わかりやすく説明する方法は塾講師時代から研究を重ねてきました。現在も塾や予備校の先生の教え方を参考に、「もっとうまく伝えるにはどうすればいいか?」を追求しています。このホームページは、すべて私一人で書いておりますが、もっとわかりやすく、一人でも多くの方のお役に立てるよう発展させていきますので、わからない部分がございましたらご遠慮なくご指摘ください。

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